最初に、通貨と国債という2つの金融資産の話から始めたいと思います(図表1)。通貨としては、銀行券と中央銀行当座預金からなる中央銀行通貨がまず挙げられます。わが国の現在の中央銀行通貨残高は122兆円に上ります。これに加え、中央銀行通貨に容易に引き換え可能な銀行預金も通貨として機能しており、その残高は1,024兆円です。言うまでもなく、通貨は決済手段、計算単位、価値の貯蔵手段として重要な役割を果たしています。一方、国債ですが、現在、発行残高は865兆円に上っています。国債は政府にとっては資金調達手段であり、中央銀行にとっては金融調節の手段であり、民間金融機関や投資家にとっては、重要な運用手段です。また、国債は多くの場合、信用リスクが無視できるリスクフリー資産であるため、国債金利は金融市場における様々なプライシングの基準としての役割も果たしています。 ところで、通貨も国債もそれ自体は債務証書に過ぎません。言うまでもなく、債務者は、中央銀行通貨は中央銀行、銀行預金は民間銀行、国債は政府です。いずれも素材として価値を有している訳ではないにもかかわらず、価値あるものとして認められ、その機能を発揮しうるのは、究極的には、通貨や国債の保有者がその発行主体を信認しているからです。勿論、信認の重要性は金融論で
最も強調されていることのひとつであり、新しい論点ではありません。政府も中央銀行も民間銀行もいずれも信認を得るために、最大限の努力をしています。政府の場合は、中長期的な財政バランス維持の努力がこれに当たります。中央銀行について言うと、金融政策や最後の貸し手、金融監督等を通じて、物価の安定や金融システムの安定を図ることです。民間銀行の場合は、信用仲介や決済サービスを提供するうえで、資本基盤の維持や様々なリスク管理に努めることです。政府や中央銀行、民間銀行は、こうしたかたちで信認維持に努力しています。 本日私が述べたいことは、それぞれの主体に対する信認はこうした自らの努力だけでなく、他の主体に対する信認が確保されていることや、社会の構成員が信認の重要性をお互いに理解することによっても支えられているということです。多少、結論を急ぎすぎたように思いますので、以下では、そうした信認の相互依存とでも言うべき側面について、詳しくお話をしたいと思います。
民間金融機関の信認の裏付けとしての政府の意思
第1に、民間金融機関の預金―あるいはより一般的に金融機関債務―への信認は、政府の信認にも大きく依存します。リーマン破綻後のグローバル金融システムの動揺と終息の過程はこのことを端的に示しています。リーマン破綻後、金融機関はお互いに疑心暗鬼になり、インターバンク資金市場はほとんど機能停止状態に陥りました。このような状況下、中央銀行は民間金融機関の流動性不足に対処するために、「最後の貸し手」として積極的に資金を供給しました。危機時における流動性供給は極めて重要ですが、リーマン破綻の時には、それだけでは金融システムの安定を回復することは出来ませんでした。金融システム不安と実体経済の悪化が相乗作用を及ぼし、資本不足というソルベンシーの能力への信認が大きく低下する事態になったからです。問題が流動性不足ではなく資本不足の問題に転化した結果、政府が民間金融機関に対し資本を注入したり、金融機関のシニア債務を保証することによって、信認を回復することが必要となりました。因みに、今回のグローバル金融危機において、米国、英国、ドイツ、フランスの4カ国の政府が投入した公的支援の金額は日本円に換算して約84兆円にも上りました1。このことは、通貨や金融システムの安定は最終的には政府の信認にも大きく左右されることを物語っています。
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