和田崇彦
[東京 19日 ロイター] - 円安や資源高を背景に物価が歴史的な水準に押し上げられる中で、サービス価格の停滞が際立っている。賃金上昇の勢いが鈍いといった実態面の要因だけでなく、家賃の推計で物件の経年劣化が考慮されないなど制度的な問題も絡んでいる。日銀の黒田東彦総裁は物価目標の達成にはサービス価格の寄与が必要だとみているが、実現はかなり遠そうだ。
<サービス価格、17カ月連続のマイナス>
総務省が19日に発表した7月の全国消費者物価指数(CPI)では、総合指数が前年同月比プラス2.6%となった。消費増税の影響を除くと1991年12月以来の伸び率を記録した。
指数を「財」と「サービス」に分類すると、指数の上昇をけん引しているのは「財」でプラス5.4%と2014年6月以来の伸び率。一方、「サービス」はマイナス0.2%。17カ月連続でマイナス圏だ。
サービス価格をマイナス圏にとどめている要因は、前年の大幅値下げの影響が残る携帯電話通信料で、7月はマイナス21.7%となった。UBS証券の栗原剛次席エコノミストによると、携帯電話通信料がサービス価格を0.7%ポイント程度押し下げている。ただ、「この影響を除いてもプラス0.6%と、サービス価格は財ほど突き抜けた強さはみられずレンジを推移している」という。
<賃金3%上昇、「かなり高いハードル」>
サービス価格が停滞している要因としては、賃金の伸びの鈍さと制度的な要因に大別される。
6月の毎月勤労統計(速報)によると、名目賃金に当たる現金給与総額は前年比2.2%増と2018年6月以来の伸びとなった。しかし、総務省の担当者は19日、7月の全国CPIで人件費のサービス価格への転嫁がみられる項目はあるかとの質問に「サービス価格はここ数カ月横ばいになっている。今月、特徴的なものはない」と述べた。
栗原氏は、サービス価格に人件費が反映されていくには「賃金の上昇が何より重要」と指摘する。
日銀の黒田総裁は5月の講演で、日本の時間当たり労働生産性は平均して年率1%程度のペースで上昇しているとした上で「生産性と物価の上昇率と整合的で、持続可能な名目賃金の上昇率は3%程度」と述べた。しかし、栗原氏は賃金をインフレ、労働需給、企業業況で推計しても「3%台の賃金上昇は、過去の関係を見ると構造的な変化でもない限りハードルがかなり高い」としている。
エコノミストからは長期的視点に立った指摘もある。SMBC日興証券の宮前耕也シニアエコノミストは「2030年代以降は労働力人口がいよいよ減少局面に入り、本当の意味での人手不足になる。そうなると賃金はもっと上がりやすくなるし、つられてサービス価格も上げざるを得ない流れになる」とみている。
<持ち家の「帰属家賃」はべた凪>
サービス価格の浮揚を妨げている制度的な要因としては、持ち家の「帰属家賃」がある。これは、持ち家を賃貸物件と想定した場合に発生する賃料を家屋の態様別に推計するもので、「民営家賃」との連動性が高い。1970年以降、1995年ごろまでは物価との連動性が高かったが、その後は連動性が薄れた。今年4月以降、総合CPIの伸び率が2%を突破する中でも持ち家の帰属家賃は「べた凪」の様相で、7月は前年同月比変わらずだった。
みずほリサーチ&テクノロジーズの酒井才介主席エコノミストは、総合指数のウエートで18%を占める家賃(民営家賃と持ち家の帰属家賃)について、経年劣化による品質調整が考慮されていないなど「統計技術的な要因」もサービスCPIが伸び悩む一因だと指摘する。物件に住む間に壁や床に汚れや傷が付いても、そのまま契約を更新して賃料が変わらなければ賃料は「実質値上げ」だが、現在の推計方法ではこうした経年劣化が考慮されていない。
酒井氏は、家賃が近年、横ばい傾向が続いているのは、2年間の契約で家賃が動きにくいことに加え、借地借家法で賃料の増額が難しいことなどが背景にあると指摘。「同一世帯が住み続けている物件の家賃に実質的な規制が掛かっていることになり、価格は上方硬直的になる傾向が強く、先行きも大幅な上昇は見込みにくい」と述べた。
持ち家の帰属家賃の推計方法を巡っては、かねてから議論を呼んできた。2015年には内閣府の統計委員会で日銀の前田栄治・調査統計局長(当時)が、帰属家賃の計算などに使われる家賃に家屋の経年劣化を反映した「品質調整」を行うよう提案。帰属家賃で品質調整を加味すれば、一定の仮定の下でコアCPIが0.1─0.2ポイント押し上げられると指摘した。
酒井氏は、帰属家賃の推計方法を変える場合には「帰属家賃を新規家賃(入居者が入れ替わった物件の家賃)で推計することも選択肢だ」と指摘。帰属家賃に経年劣化による品質調整の影響が反映されない点についても改善の必要があるほか、「持ち家市場と賃貸市場が分断されているもとでは、持ち家のコストを民営家賃に準拠して作成する発想から離れてみることも検討するべきだ」とする。
総務省は、消費者物価指数における家賃の経年変化を踏まえた調整方法について分析・検討を続けている。同省の物価統計室はロイターに対し「現時点で推計方法の変更の予定はないが、引き続き有識者等の意見を聞きながら統計の精度向上に取り組んでいく」とコメントした。
黒田総裁は6月の講演で、「サービス価格は欧米と異なり、極めて硬直的な状態が続いており、コロナ禍でもほとんど上昇していない」と指摘。「日本で毎年2%程度の物価上昇が実現する状態は、サービス価格の押し上げ寄与が常に2%程度あり、その前後の変化率で財価格が循環的に変動するという姿だ」と述べた。
しかし、サービス価格の浮揚は遠そうだ。7月CPIでも、サービス価格で目立ったのは外食のハンバーガーのプラス10.6%など、原材料高や円安で値上げが行われている項目だ。「コストプッシュ要因が剥落すれば、緩やかな伸びに鈍化する可能性が高い」(酒井氏)との声が出ている。
(和田崇彦 グラフィック作成:田中志保 編集 橋本浩)