【中国問題グローバル研究所】は、中国の国際関係や経済などの現状、今後の動向について研究するグローバルシンクタンク。
筑波大学名誉教授の遠藤 誉所長を中心として、トランプ政権の ”Committee on the Present Danger: China” の創設メンバーであるアーサー・ウォルドロン教授、北京郵電大学の孫 啓明教授、アナリストのフレイザー・ハウイー氏などが研究員として在籍している。
関係各国から研究員を募り、中国問題を調査分析してひとつのプラットフォームを形成。
考察をオンライン上のホームページ「中国問題グローバル研究所」(※1)にて配信している。
◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページでも配信しているフレイザー・ハウイー氏の考察を2回に渡ってお届けする。
———世界有数の高層ビルが立ち並ぶ香港は、アジア屈指の金融の中心地であると同時に観光のメッカでもあるが、ここ数か月は抗議の街と化している。
6月9日には、推定100万人がデモに参加して、林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官率いる香港政府に対して、香港から中国本土への容疑者引き渡しを認める法案、すなわち逃亡犯条例改正案を撤回するよう要求した。
この改正案は、通常のパブリック・コンサルテーション(市民協議)や見直しを経ずに急遽議会を通過したため、香港社会や経済のあらゆる分野で懸念が広まった。
親中派の実業界でさえ、改正案の条項では香港の銀行役職員が本土で実行または捏造された汚職事件の従犯者(犯罪行為を幇助した者)として逮捕されるおそれがあるとして、大いなる懸念を示した。
基本的な保護策も幾つか規定されていたが、香港社会における本土の中国政府への信頼感の欠如や、香港政府が本土からの要求に応じて積極的に民意に逆らおうとする姿勢を示したことが要因となって、中国政府は香港社会への影響力を拡大するためにこの改正案を利用することができるし実際に利用するであろうという見方が普及した。
100万人の市民がデモに繰り出した時点でもラム行政長官は動じなかったが、一週間後にはその倍近い人数がデモに参加した。
デモの参加者は、最初のデモには白い服を着用したが、2回目からは黒い服の着用へと変わった。
ついにラム行政長官は、事実上「改正案は死んだ」と発言したものの、廃案は拒否したことから少なくとも理論上はまだ法制化を進めることが可能な状態だ。
デモ隊は、4つの主要な要求に加えて改正案の完全撤回も要求したが、ラム行政長官はそのいずれも受け入れなかった。
行政長官は香港市民の声に耳を傾けると言っているものの、香港は度々制御不能に陥っており、ここ数か月ほとんど務めを果たしていない。
今回の抗議行動は、1967年に共産主義者が支援した暴動で51人が死亡、5,000人近くが逮捕されて以来、香港で最も深刻な騒乱となっている。
しかし今回の抗議運動は、1997年の中国への返還を下支えした「一国二制度」に基づいていることから、長期にわたる抗議活動の一環と見なすことができよう。
四半世紀前、クリス・パッテン氏が最後の香港総督に就任して香港に民主主義を根付かせようとした当時、香港市民は政治への関心が薄く気にかけているのは金儲けだけという反論をよく耳にした。
今やそうした考えを貫ける者はそうそういないであろう。
返還以降、政治と経済の両方が今日の香港を形成した。
返還後の変化は劇的で、アジア金融危機やSARSにより憂き目に遭っただけでなく、120万人の本土人の流入が人口構成を変え、また、不動産価格が高騰して、香港は世界で最も割高で最も手を出しにくい不動産市場になった。
多数の億万長者と途方もない富が存在する香港だが、人口の15%から20%程度が貧困ライン以下の暮らしを強いられている。
このような経済的ストレスの積み重ねが増幅している上に、中国政府の好ましくない干渉も受けている。
一国二制度の協定に基づき、香港は独自の行政を遂行するための高度な自治権を有しているが、それでも中国政府の干渉を食い止められない。
中国政府が最初に香港に対する影響力を強化した例として有名なのが、国家安全保障を巡る香港基本法第23条であった。
そして2003年7月1日、50万人が反対デモに参加して抗議した。
それ以来、香港政府は一連の取り組みを行ってきたが、香港市民の頭越しに直接中国政府に迎合している様子である。
返還以来、4人の香港特別行政区行政長官が就任したが、いずれも香港市民の失望を買った。
普通選挙で選ばれた者はおらず、事実上、中国政府の承認を受けた上で任命された者ばかりである。
ここに、香港政府の根本的な問題があろう。
行政長官は決して香港市民の代表ではなく、その役割自体が矛盾している。
つまり、香港市民に奉仕し、彼らを代表して中国政府に対応するのではなく、香港の生活様式を抑圧しようとする中国政府の手先と見なされている。
前回普通選挙が強く要求されたのは2014年で、真の民主主義的改革が実施されなかったため、「占拠せよ」運動と呼ばれる反政府運動が起こり、官庁街のアドミラルティ(金鐘)地区で数万人が抗議して座り込み、2か月以上にわたって通りを封鎖した。
香港市民による前例のない政治的道義心の表明は結局失敗に終わったが、その失敗が、直近の2か月間に見受けられる全社会的な怒りへと結実した。
毎日のように突発的に暴力行為が発生している7月や8月のかなり前から、「我々は5年前に失敗したが、今回は失敗できない」という実感があった。
そのため、デモ隊のごく一部が重大な破壊行為、公共財産の破損、深刻な騒乱に手を染める事態になったが、それでも香港社会の多くの層からの強い支持を保っている。
大規模な平和的抗議グループから一派が離脱して、警察本部と地元の警察署を包囲したり、反政府のスローガンを掲げて香港特別行政区立法会(立法機関)の議場に乱入し、建物を破壊するなど、ここ2か月間、率直に言って信じがたい光景が出現している。
彼らは、香港の事実上の中国大使館として活動している中央政府駐香港連絡弁公室さえ攻撃した。
抗議運動には、逃亡犯条例改正案の完全撤廃、警察の残虐行為に対する独立した調査、初期の抗議行動を「暴動」と決めつけた件の撤回、逮捕者の速やかな釈放と起訴の取り下げ、普通選挙という、5つの幅広い目的がある。
だが、香港政府は一切応じていない。
逃亡犯条例改正案は無期限に延期され、ラム行政長官によって「死んだ」と宣言されたものの、まだ立法予定に残っている。
参加者は非常に行儀よく行動し、ゴミを回収するために居残ったり翌日戻って来たりしていた100万人の香港行進としてスタートした運動が、届け出済みの集会とデモ行進の混成に概ね取って代わり、その背後でデモ隊の一部が分裂して未届けの集会を敢行して、交通を混乱させて警察による攻撃を誘発しようと試みている。
これらの参加者において指導者はほぼ不在で、催涙ガスやゴム弾といった手荒な警察の戦術に対処するために、チャットルームやソーシャル・メディアを通じた効果的だがシンプルな通信と組織体制を開発している。
14年の「占拠せよ」運動で催涙ガスが使用されたことで、多くの香港市民が同胞支持を表明するようになった。
本稿執筆時現在、催涙ガスは毎日のように使用されており、6月以降2,000発近くが発射されている。
騒乱が始まって以来、中国政府は、香港政府を全面的に支持していること、および香港警察には暴力を鎮圧できる能力があることを示唆している。
これは、ラム行政長官がデモ隊の要求に応じていないことを意味しており、警察の対応に呼応してデモ隊も暴力の度合いをエスカレートさせている。
黒い服を着てマスクをしたデモ隊は、香港中で警察とのいたちごっこを繰り広げている。
「Be water(水になれ)」すなわち流動的、機動的、かつ変化するというデモ隊の戦術は、無秩序と混乱を広めるのに成功したとはいえ、戦略上はプラスに働いていない。
デモ隊の要求を支持する香港市民にとって心配な点は、そうした状態が長引くほど、これらの戦術の効果が薄れることである。
※1:中国問題グローバル研究所https://grici.or.jp/この評論は8月13日に執筆(「香港 抗議の街(2)【中国問題グローバル研究所】」へ続く)