今の中華人民共和国の動きは、紀元前4世紀の秦の台頭期を思い起こさせる。大陸中央部(黄河流域から長江流域にかけての地域の意)の戦国時代、西方にあった秦が国力を増大させ、東進の気配を見せ始めたとき、他の六国(魏・韓・趙・燕・楚・斉)は、それぞれ自国の独立を保持するための策を必要としていた。それに応え、雄弁家として知られた蘇秦は合従(がっしょう)策を、後に秦の宰相となる張儀は連衡(れんこう)策を唱えた。
今の中華人民共和国の動きは、紀元前4世紀の秦の台頭期を思い起こさせる。大陸中央部(黄河流域から長江流域にかけての地域の意)の戦国時代、西方にあった秦が国力を増大させ、東進の気配を見せ始めたとき、他の六国(魏・韓・趙・燕・楚・斉)は、それぞれ自国の独立を保持するための策を必要としていた。それに応え、雄弁家として知られた蘇秦は合従(がっしょう)策を、後に秦の宰相となる張儀は連衡(れんこう)策を唱えた。