Enrique Anarte
[ベルリン 9日 トムソン・ロイター財団] - 妻が最初の子どもを出産したとき、ツェポ・ボルウィンケルさん(60)は喜びの一方で辛い記憶を噛みしめていた。ドイツ在住のトランスジェンダーであるボルウィンケルさんは、1990年代に法的に性別を変更するため不妊手術を受けざるをえなかったからだ。
ドイツの啓発団体である連邦トランスジェンダー協会(BvT)によれば、2011年にその義務が撤廃されるまで、少なくとも1万人が不妊手術を受けた。社会的な反発が強まっているにもかかわらず、欧州にはそうした措置を義務付ける国が複数残っている。
ライフコーチとして働くボルウィンケルさんが出生時に割り当てられた性は女性だった。トムソン・ロイター財団の取材に対し、「できれば、私が子どもを産めればよかったと思う」と語る。「(妻と)同じように出産できてもいいはずなのに」
ボルウィンケルさんは人称代名詞として「they/them」を使う。法的に男性として認められたことで「生きる力を得た」と言うが、子どもを産む能力を犠牲にせざるをえなかったことは嘆いている。
「私にとっては、法的なジェンダーを変えるか自死するか、2つに1つの選択だった。だから手術を受けたが、その代償は非常に大きかった」と語るボルウィンケルさんは、1980年制定のトランスセクシャル法をめぐる補償を求める約3年に及ぶ戦いの先頭に立った1人だ。
補償に踏み切った最初の国はスウェーデンだ。法的なジェンダー認定プロセスの一環として不妊手術を受けたトランスジェンダーの国民数百人に対して、約2万2000ドル(約286万円)相当の補償を行うことで2018年に合意した。
2年後にはオランダがこれに続き、政府の謝罪とともに5000ユーロ(約69万円)の補償を提供した。
そして今、社会民主党、緑の党、自由民主党の連立によるドイツの新政権も、同様の補償措置を計画している。
ベルリンを本拠とする人権擁護団体「トランスジェンダー・ヨーロッパ」によれば、運動関係者は、ドイツの変化を契機として、フィンランドやチェコ、ルーマニアなど、今もなおジェンダー変更のために不妊手術を義務付けている国々でも変革が加速するのではないかと期待しているという。
プラハを拠点にチェコにおける不妊手術義務付けに反対する運動を進めているトランスジェンダー人権擁護団体「トランスペアレント」の共同創設者ビクトル・ホイマン氏は、「ドイツの変化は私たち、そして私たちの国にとって、とても大きな意味を持つだろう」と語る。
しかし3月末には、チェコの憲法裁判所が、不妊手術を受けずに法的なジェンダー認定の変更を求めたトランスジェンダーの訴えを退けた。
ホイマン氏は「私たちが期待しているのは外国からのシグナルだ」と語る。
<強制離婚>
ドイツ政府は、「強制的な離婚」を経験したトランスジェンダーに対する補償も検討中だ。
ドイツでは2009年まで、既婚者が法的なジェンダーの変更を希望する場合には、配偶者との離婚及び1年間の別居が必要とされた。
BvTの理事を務めるフランク・クルーガー氏は、トランスジェンダーに対する離婚・不妊手術の義務付けについて、「ドイツの政治家たちは、同性婚から社会を『守り』、トランスのカップルが子どもを持つ可能性を避けたいと考えていた」と語る。
ドイツ司法省の報道官は、離婚を強制されたトランスジェンダーがどれくらいの数になるか把握していないとしており、クルーガー氏も試算の困難さを認める。
「強制的な不妊手術の場合、件数は明白だ。法的なジェンダーを変更した人は全員がそれを経験しなければならないのだから」とクルーガー氏。
「だが、強制的な離婚についてはもっと複雑だ。離婚したのは法律のせいなのか、それとも別の理由だったのか」
離婚を求める法律による影響を受けた人々の多くは、家族に与える影響を恐れて、その事実を公にすることを躊躇している。だがハンブルクで暮らす心理療法士のコーネリア・コストさん(59)は、自ら名乗り出ることによって、政治家に正義の実現を促したいと語った。
「子どもの頃から自分がトランスジェンダーであることは分かっていたけど、結婚して子どもを持てば、それも消えるのではないかと願っていた」とコストさんは言う。前妻とのあいだには2人の子どもを授かった。「私たちは何とかうまくやって行こうとしていた。お互いにとても愛し合っていたから」
だが、法的に女性として認定してもらうためには、法律の規定によりが離婚が不可避だったという。
「国に『離婚せよ』と指示された」とコストさんは言う。彼女は、犠牲になったトランスジェンダーだけでなく、元の配偶者や、子どもがいる場合には子どもにも補償の対象を拡大するよう要求している。
<金ではなく謝罪を>
調査会社ユーガブが最近行った世論調査では、ドイツでは、トランスジェンダーの人々はすでに十分な権利を得ていると考える人が32%、あまりにも多くの権利を得ていると考える人も20%いる。過去の法律による影響を受けた人の中には、最終的に補償を得られるかどうか疑問視する声もある。
「実現するまでは信じられない」と語るのは、北海沿岸のウィルメルムスハーベンに住む写真家キャスリン・レイムローさん(58)。
法の定めに従いジェンダー変更のための手術を受けたとき、子どもを持つという考えを捨てなければならなかった。「可能性だけでも残しておいてくたなら、と思う」とレイムローさんは言う。
連立政権は、連邦議会において十分な過半数を確保している。だが、補償案には反対もある。
2017年の同性婚合法化に反対した極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」は、連邦政府の補償案に反対している。
最大野党の保守派キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)にもコメントを求めたが、回答は得られなかった。
司法省の報道官は、具体的にどの程度の額の補償が行われるかは未定としている。
緑の党のナイク・スラウィック連邦議会議員は昨年9月、やはり緑の党のテッサ・ガンセラー議員とともに、ドイツで史上初めてトランスジェンダーを公表している連邦議会議員となった。「この補償の場合、決して『完璧な額』には至らないだろう」と語る。
補償措置を検討する議会委員会に名を連ねるスラウィック氏は、「スウェーデンやオランダで、補償がどれくらい成功したのか検証したい」と言う。
だが、影響を受けた多くの人にとって、補償金は最大の課題ではない。
「何より大切なのは、彼ら(国)が間違ったことをやったと認めて、謝罪することだ」と、レイムローさんは言った。
(翻訳:エァクレーレン)