[リマン(ウクライナ) 5日 ロイター] - ウクライナ東部ドネツク州にある鉄道の要衝リマン。ロシア兵2人の膨張した遺体が、道路の反対側で木々の間に横たわっている。ウクライナ軍将校らによれば、近くに残った車両の残がいは、死んだ兵士の部隊がリマンへと退却して来る際に乗っていたものだ。
ロシア軍が既にリマンから撤退したことを知らなかった兵士らは、先週末にここに乗り込んでウクライナ特殊部隊の待ち伏せに遭い、銃撃の嵐によって一生を終えたと将校は述べた。
5日に確認された遺体や破壊された車両、弾丸、破れた軍服、金属片の「じゅうたん」は、ウクライナの反撃によってロシアがリマンを失ったことを物語る。ウクライナは、ロシア軍がいったん制圧したドネツク州の一部奪取を宣言した。
ウクライナの兵士や物資を乗せた装甲車やトラック、自動車が、待ち伏せ現場を通過して前線へと向かう。兵士らは車両から身を乗り出して現場の光景を眺めていた。
撤退するロシア軍と、高速道路に向けて前進するウクライナ軍との戦闘の音が、時おり遠くから聞こえてくる。この高速道路は、北はロシア国境、南は6月にウクライナ軍が撤退したシエビエロドネツク市に通じている。
リマンのIgor Ugnivenko警察署長は破壊されたリマン中心部で記者団に対し、戦前の人口約2万2000人のうち約7000人が街に残っていると説明。1日からは警察官も街に戻り始めたと語った。
「家の中に残された(ロシアの)武器を全て片付けなければならない」という。
Ugnivenko氏は警察署の倉庫前に立ち、ロシア軍がリマン占領中に市民を殴打し、虐待した証拠を警察は押さえていると話した。「拷問があったのは分かっている。まだ捜査は残っている」
この倉庫に詰め込まれた家具は、ロシア軍が略奪して母国に持ち帰ろうと計画していたものだとUgnivenko氏は述べた。ロイターはこの話の根拠を独自に確認できていない。ロシアは、捕虜に対する拷問やその他の虐待を否定している。
市庁舎の外で人道支援物資の支給を受けるために並んでいた住民ら数人の証言は、警察署長と食い違う。
「ロシア人は私たちに指一本触れなかった」と語るのはニーナさん(73)。リマンに暴力が訪れたのはウクライナ軍が反撃し始めてからだと訴える。
「ウクライナ軍が最初に来たときには、家から人に至るまで何もかもが宙を飛び交った。大勢の人々がすぐに殺されてしまった」
ニーナさんが住む通りにはロシア兵15人の遺体が横たわったままだという。
「誰も手を触れず、誰も撤去しない。横たわってから5日目になり、異臭がしている。こんなことでいいのかしら」とニーナさんが言うと、横に立っていた男性(78)が「彼らはチームでやって来たのに、兵士らを置き去りにしてしまったんだ」と口をはさんだ。
<無一文に>
市庁舎の広場に自転車でやって来たVolodymyr Yurevychさん(26)は、外出は6週間ぶりだと語った。「自転車であちこちを回り、表現できないような多くの物事を目にした」という。
「僕は彼ら(ロシア軍)とまったく接触しなかった。人道支援さえ受け取らなかった。初日に獣のように振る舞うのを見ただけで辟易し、すぐに彼らを拒絶した」とYurevychさんは話した。
最近の戦闘によって、無数の住居が破壊されたり損傷を被ったりした。
ニーナさんは将来を心配している。「無一文になってしまった。全部壊れてしまった。41年間働いてきたのに、押し合いへし合いしながらこの列に並ぶしかない。パンもない。誰もお金を恵んではくれない。いったいどういうことなの」と嘆いた。
(Jonathan Landay記者)