1960年代の日本では、とくに発展が著しかったです。
当時の総理大臣が「所得倍増計画」を発表して、その名の通り国民の所得を倍にするぞ!という、今では考えられないような政策を打ち出した時代です。
その計画のカギとなったのが、インフラ整備でした。
今日は、日本の1960年代にスポットを当てて深堀りしていこうと思います。
それでは今日もお付き合い下さい。
所得倍増計画のカギはインフラ整備
時は1960。
当時の池田勇人首相は所得倍増計画を打ち出しました。
この計画の内容は、国民の所得を10年間で倍にするぞという計画でした。
とても大胆な計画でしたが、当時の大蔵大臣に田中角栄を起用しました。
そして、なんと目標の10年を前倒しして、7年で達成したのです。
その背景には何があったのでしょうか?
詳しく見ていきましょう。
インフラ整備
まずは道路の整備に力を入れました。
道路が整備されていなければ、物資を運ぶのにとても時間がかかってしまいます。
そこで経済を発展させるための第一歩として、道路の整備に取り組みました。
合わせて全国の港の整備にも力を入れて、貨物船が港に物資を運ぶようになり国内で生産したものをより効率よく海外に輸出できるようになりました。
インフラ整備とは?
国民生活に必要不可欠な公共施設を整備することを、社会資本整備(インフラ整備)と呼んでいます。
現在では、東南アジア地域のインフラ整備に世界中のお金が集まっていると言われていますが、上下水道、公園や病院などの生活関連の施設、道路や港湾などの産業関連などの設備が挙げられます。
このように、社会の基盤の中で日本はまず産業関連の整備を優先していくことで経済を活性化しようとしたのです。
その結果、国内の物資を効率的に運ぶことができるようになって、工場は製品を大量に生産して近くの港などから海外に輸出できるようになりました。
1964年東京オリンピック
これを書いている私もまだ1964年には産まれていませんでしたか、東京オリンピックなどの映像を見たことがある人も多いと思います。
東京オリンピックの開催のために、東海道新幹線が開通しました。
新幹線を開通させる資金は、この当時日本にお金がなかったので世界銀行から融資を受けていました。
世界銀行
少し世界銀行についても話しておきましょう。
IMF(International Money Fund)と世界銀行は1944年7月米国ニューハンプシャー州ブレトンウッズで開催された国際会議で設立が決定されました。
この会議の目的は、より豊かで安定した世界経済を実現するために、経済協力・開発の枠組みを構築することでした。
1944年に設立されましたが、現在でも世界中の国と地域の経済協力をしています。
世界銀行は国際金融機関として、開発途上国が様々な事業に取り組むにあたっての資金難を解消するために融資を行っています。
ニュースなどでも取り上げられることがあるので、頭に入れておきましょう。
日本の借金返済
日本がこの時に借りたお金を全部返し終わったのは、なんと1990年代に入ってからでした。
さらに、東名高速道路や名神高速道路なども建設されました。
これによって、東京と大阪という日本の二大都市を結ぶ新幹線と高速道路ができたことで、物流と人の流れが活性化して経済発展も加速していきました。
日本経済発展の「3C」ブーム
1960年代後半になると、経済がどんどん豊かになって働く人の給料も増えてきました。
そうなると消費の意欲もどんどん高まってきます。
そこで3Cと呼ばれるクーラー、カラーテレビ、カー(自動車)が一般にも普及するようになってきます。
これは日本人が世間体を気にする文化もあったかもしれませんねw
近所の誰誰がクーラー家からテレビを買ったなんてなれば、うちも買おうってなるんですねw
このようにして3Cの一大ブームが起こって、給料が上がる、ものが売れる、インフラも整備されたということで経済が爆発的に活性化して、所得倍増計画は達成されました。
今聞いても心が躍るような時代だったと思います。
1968年には、日本はなんと敗戦国で貧乏だった時代を抜け出し、一気に世界第二位の経済大国へと踊り出ました。
その後、日本は輸出大国としてさらに経済発展を遂げていくことになるのです。
まとめ
今回は、1960年代の日本について話をしてきました。
給料を倍にするぞと政府が言ったら、なんかワクワクしちゃいますよね。
現在よりも、生活の便利さではかなわないと思いますが、国民が一丸となって経済発展をして、とても良い時代だったように感じます。
さらには、この時代たくさんの人が寝ずに働き、経済大国にまで押し上げてくれた過去があったので、今の私たちが普通の生活ができることに感謝したいと思います。
もしもこの時代に、大きな改革がなければ敗戦国として農業をメインとした国になっていたかもしれませんし、人口もこんなに増えていなかったかもしれませんね。
次回はいよいよ、1970年、1980年代のバブルの話をしていこうと思います。
それではまたお会いしましょう、