「バブル経済ってのがあった」というのはみんなが知っていますよね。
しかし、バブル経済はどのようにして生まれ、どのようにしてはじけてしまったのか?十分に理解している人は少ないかと思います。
そこで今回は、日本のバブル経済にスポット当てて解説していきたいと思います。
それでは今日もお付き合い下さい。
バブルで熱狂した日本
バブルとは、英語で泡の事ですよね。
実体がなくて、いつしか消えてしまうものです。
1980年代後半の日本は、土地や株が激しく値上がりを続けて、土地や株を持っている人たちの財産はどんどん増えていきました。
そして増えた財産をもとに、リゾートマンションやゴルフ会員権、高級自動車などを買う人もとても多くいました。
経済の面から見てみると、日経平均株価は1989年末には38,915円という史上最高値になり、みんながまだまだ上がると思っていました。
歴史的に後から見てみると、なんであんなに熱狂していたんだろうと思う人が多いんですが、バブルの最中に身を置いていると周りもみんな熱狂しているので正気になれる人は少なかったようです。
バブルのきっかけ
バブルのきっかけは、1985年9月のプラザ合意だと言われています。
先進国5カ国の大蔵大臣がアメリカニューヨークのプラザホテルに集まって、ドル安を進めることで合意した会合です。
当時のアメリカは輸出が伸びずに困っていたんですね。
だから、当時のレーガン大統領はドル安になるように各国に協力を頼んだんです。
ドルの値打ちが下がる=ドル安になると、アメリカ製品が海外で値下がりしたのと同じことになるのでアメリカ製品がよく売れるようになって、アメリカの輸出が伸びるだろうと考えていたのです。
各国が協力してドル安を売ったので、ドルは値下がりしました。
ドルが値下がりしたという事は逆に言えば、円が値上がりしたことになるので、円高になると日本の商品は海外で値上がりしたことと同じ状態になります。
こうなると、日本の商品は海外で売れにくくなっていきます。
日本経済は不況に突入そして円高不況になっていくのです。
円高不況で金利を下げた?
プラザ合意によってアメリカドルです協力して円高になってしまった日本だったので、不況対策に力を入れていきます。
日本製品はどんどん売れなくなっていくと考えたわけなんですね。
そこで、日本銀行は金利をできるだけ低くして景気を良くしようと考えました。
景気が良いうちに、対策をとってなるべく今の水準を維持しようとしました。
結論を言うと、ドル安になったにもかかわらずアメリカの輸出は全然伸びませんでした。
アメリカドル安をやめるってよ
アメリカは一変して「これ以上のドル安政策をやめる」と言い出します。
これが認められたのが、1987年2月にフランスパリのルーブル宮殿で開かれた先進国7カ国の大蔵大臣の会議でした。
この会議をルーブル合意と呼んでいます。
ドル安を止めるためにアメリカの金利を他の国よりも高くすることで合意します。
この合意の狙いは、アメリカの金利が高ければ海外の投資家は資金をドルで保有します。
わからない人のために、もっと簡単な説明をすると、アメリカの金利が高くなると、銀行に預けておく利子が他の国の通貨で持っているよりも、よりたくさん利子がもらえるということです。
だから、ドルの人気が高まってドル安に歯止めがかかるという狙いでした。
ルーブル合意
ルーブル合意では、アメリカは各国の金利を下げてアメリカの金利より低い状態にしてほしいと頼みました。
結果として日本の金利は、1987年2月には2.5%まで下がりました。
ちなみに、日本が金利を下げ始める前は金利が6%あったので、銀行に12年預けておくと預けているお金は倍になった時代です。
今では考えられませんが、バブル時代を経験した人が「貯金は神だ」という思想はここから来ています。
今では銀行に預けていても、雀の涙ほどの金利しかつきませんよね。。。
話を戻しますが、日本は円高不況対策で金利を下げていたところに、さらにアメリカの要求を受け入れて金利を下げました。。。
アメリカに遠慮し続ける日本
日本はこの円高不況対策で金利を下げていたので、既に円高不況を出して景気が良くなりすぎて過熱気味になっていました。
だから、本来であれば金利を引き上げて景気が良くなりすぎたものを抑えないと、経済がおかしくなってしまいます。
日本銀行は、1987年の年末までには金利を引き上げようとしていました。
ブラック・マンデー
1987年10月にブラックマンデー(暗黒の月曜日)が起きました。
ニューヨークの株価が史上最大の下げ幅を記録したんです。
ブラックマンデーは投資家がまもなく「日本や西ドイツは金利を引き上げるだろう」「そうすれば日本や西ドイツにお金を移した方が金儲けのチャンスが大きくなる」と考えたことからおきました。
違う言葉で言えば、アメリカから資金が抜けてしまったんです。
アメリカは、個人投資家のお金を無理矢理アメリカドルに投資をさせるような状態で自転車操業をしてきたので、問題が起きたらすぐに資金が抜けてしまうんですね。
アメリカ経済が不況になってしまうと、日本経済にも深刻な影響が及びます。
だって、その時の日本は輸出で儲けていて、それを支えている大企業たちはほとんどがアメリカに商品を輸出して稼いでいたからです。
だから、アメリカ経済がおかしくなると、日本経済は深刻な不況に陥りやすい状況でした。
日本はアメリカには逆らえない
日本は本当ならば金利を上げて、景気のコントロールをしなければいけなかったんですが、アメリカより金利を低い状態にすることによって、アメリカドル優位を維持して資金がアメリカにとどまるように考えました。
そうしているうちに、日本は金利を引き上げるチャンスを失ってしまいました。
今もその傾向がありますが、日本国民の利益、日本国の未来よりもアメリカからの目線を重視してしまう日本政府の悪いところがあるんですよね。
バブルがはじけた
バブルの時の日本はすごかったとよく言われますね。
でもバブル期を経験してない人からすると、何がすごかったのと思います。
簡単に言うと、無限にお金を借りれた。
ちょっと大雑把に言い過ぎましたが、日本での地価がずっと上昇していたので、土地を買えば買うほど儲かった時代がありました。
そして、銀行も景気が良くてお金が余りすぎてどこかにお金を貸したいと思っていました。
だから土地を買うために借金をする、その買った土地を担保に借金をする、さらに新しく買った土地で借金をする。。。。
と言う無限ループが可能だったんですね。
バブルが弾けた要因
私が住んでいる香港でも同じようなことが起きてるんですが、地価が上昇しすぎると一般市民がマイホームを持てないなどの不満が多くなってきます。
ちなみに香港での平均の家賃は30万円と言われています。
そして、日本人の平均よりも香港人は給料が低いと言われています。
だったら一般の人は、賃貸で家を借りることすら難しくなってきてしまいますよね。
実は、人工島を作るなどの構想がありますが、お金持ちからすると人工島ができると、土地が多くなってマンションなどがどんどんできてしまうので、地価が安くなってしまうんですね。
だから、反対と圧力で握りつぶされてしまっています。
脱線しましたが、この当時の日本でもサラリーマンがマイホームを持てないという不満を持ってしまい、「地価に対策を取れ」という政治的な圧力がかかりました。
政府は地価税を創設したり、不動産取引に使う資金を貸さないように銀行を指導したりして、バブルを潰そうとし始めます。
こうして1990年ついにバブルがはじけてしまいました。
株価や土地の値段も大暴落して、借金の借金の借金のように借金を重ねていた会社や個人は破産する人が多く、銀行もお金が回収できないということが多発しました。
このようにしてバブルは終焉を迎えたのでした。
まとめ
今回は、バブルについての大きな流れについて話をしてきました。
バブルを経験していない人にとっては、なんかすごいお金周りが良くていい時代だったんでしょ?という感覚しかありませんよね?
バブルが終わった後に、借金まみれの人、破産した人などたくさん大変な思いをした人がいると聞いています。
しかし、景気が良くなりすぎてみんながおかしくなっていた時代っていちど味わってみたいものですねw
今の日本では、そんなことがなかなか考えられないような状態ですが、いつかまたバブルが来てくれるんでしょうかね。
景気を良くしてくれたのもアメリカさん、バブルの崩壊を招いたのもアメリカさん。。。
今でもアメリカの影響はとても日本にとっては強いですね。。
それでは、またお会いしましょう。