[上海 2日 ロイター] - 中国・上海では今週、多くの市民が一斉に家を飛び出し、友人と再会してシャンペンで乾杯しながら2カ月に及んだロックダウン(都市封鎖)の終了をお祝いした。
その陰で自身が経営するヘアサロンの店じまい作業に追われていたのが、24歳のリー・メンファさんだ。中国政府による厳格な新型コロナウイルス封じ込め策の犠牲になった1人と言える。
リーさんが開業したのは、故郷の河南省から成功を夢見て上海にやってきた3年前。「われわれの事業はとても順調で、いつもお客さんでにぎわっていた。しかし、パンデミックのせいで多くの路面店は休業を迫られた。2カ月以上も給料なしで生き残れる人は決して多くない」と話す。
政府は上海でコロナに打ち勝ったと宣言したが、市民たちはロックダウン下で経験した悪夢、つまり所得や自由の喪失、友人や親類の死、さらには食べ物が満足に手に入らない状態がもたらした心の傷との格闘を強いられている。
多くの市民は、食料や医薬品の入手に苦労した。何十万人が密集状態の隔離施設に送られ、時には自らの意思に反して警察に無理やり連行された。必要な治療が受けられずに死亡した人も少なくない。
当初、母親は子どもと引き離され、当局がようやくこの方針を軌道修正したのは、世論の反発が強まってからだ。朝起きたら玄関前がフェンスで封鎖されていたという家や、飼い主が陽性反応となった後で撲殺されたかわいそうな犬も存在する。
ロックダウンを経て市民の間から聞こえてきたのは、落ち着かない気持ちや将来への不安、幻滅感、当局への怒りなどだ。
レディック・チェンさんによると「多くの信じ難い事態が起きたことで、政府に対する人々の信頼は、地に落ちたと感じている。あまりにも多くのものが失われ、われわれは同じような事態が起きるのではないかと懸念している」という。
<生活一変>
多くの市民からは、あっという間に日常生活が180度変わったことが信じられないとの声が多く寄せられた。
ある女性は、89歳の祖父が3週間の隔離措置後に自殺し、この間に普段なら受けられていた医師の検診に行けなかったため、苦痛と絶望に襲われ続けたのだ、と無念さを代弁した。祖父は家族の自宅から歩いてたった25分程度の距離に住んでいたという。
農村出身で警備員をしているフー・チャンゲンさんは、ロックダウン中に食料を確保できるか不安が高まり過ぎて、一時はあえてコロナに感染して1日3食が出てくる隔離施設に入ろうかと思ったほどだったと振り返った。
また、別の女性は、ロックダウン中に自分が経験したことをネットに投稿すると、複数の政府機関から何度も脅迫の電話がかかってきたと恐ろしげな様子だった。当局はロックダウン中にネットに数々の不満や批判が書き込まれるたび、すかさず検閲を通じて「圧殺」してきたのだ。
この女性は「コロナ禍の前まで、われわれは素晴らしい生活を送ってきた」と語った上で、今の生活はあらゆる面で最低許容水準を下回ったと指摘し、中国を出て二度と戻らない覚悟を示した。
<消えた批判投稿>
セラピストや心理学者は、ロックダウン中に不安を訴える電話が急増したとロイターに明かした。
臨床心理士のシャロン・イェンさんは、特にロックダウンが子どもに与える影響を心配している。助けを求める子どもが今後増えると想定しているが、それ以上に懸念されるのは、精神医療に対する偏見のために本当に必要とする人たちが支援を受けられなくなることだと強調した。
マーケティング専門コンサルティング企業の会長を務めるファ・シャンさんは1日、短文投稿サイトの微博(ウェイボ)への投稿で自身の59万6000人のフォロワーに対して、ロックダウン解除を祝うムードに不満を表明。「2カ月以上の屈辱を経験した後で、お祝いなどしてほしくない。これは上海とこれまでの死者や失業者、商売をたたんだ人々を含むわれわれ市民全員にとって大いなる恥であり、まるで万事が順調のように祝うなら、われわれは獣と同じになる」と苦言を呈した。
ところが、この投稿は2日までに消去されている。
上海市当局は、食料確保などの問題や供給制約に苦戦していることなどは認めている。ただ、中央政府から実行強化を指示されたゼロコロナ政策を緩和する気配は、ほとんどなかった。
(Casey Hall記者、Martin Quin Pollard記者)