上海の投資家は昨年11月からの株式急騰に熱狂し、今年6月からの急落でどん底に突
き落とされた。
不幸になって、人々は「なぜあの時…」と過去を振り返りたがるもの だが、そうした気分が上海の投資家の間にも広がっているようだ。
こうした投資家の 心情に応えるように、6日付「南都週刊」は100年前の株式市場の熱狂と絶望を紹介し ている。
現在の上海証券取引所は1990年に設立され、その歴史は四半世紀に過ぎないが、 株式市場自体は100年前にも存在した。
上海の英国租界に設けられた証券取引所だ。
当時の中国は皇帝が統治し、上海の人々は大清帝国の臣民だった。
いまから100年以上も昔の1910年3月も、大清帝国の金融センターである上海で は、臣民を含む多くの人々が株式投資に熱狂していた。
その当時の世界では、ゴム産 業が急速に発展。
この新興産業に膨大な資本が投下され、ゴム会社の設立が相次い だ。
急成長が見込まれるゴム会社の株式を人々は競って買い求めた。
その当時は当然のことながらインターネットはなく、株式を買うには取引所に足 を運ぶ必要があった。
取引所前に徹夜で行列を作る投資家を見て、何も知らない人々 は「あんたら何してんの?」と尋ねるが、帰ってくるのは「ゴム会社の株を買うんだ よ」という不思議な言葉。
そこで「ゴムって何だ?」と再び問うが、投資家は恥ずか しそうに「俺も知らないよ。
でも、みんなが買っているからね…」と答えるだけ。
こ のように多くの投資家は、そもそも「ゴム」と呼ばれるものが何かも知らずに、社会 の雰囲気に乗って株式を買っていた。
その当時の人気銘柄は、ゴム会社の「蘭格志拓植公司(ランカット)」だった。
英国商人が1903年に上海で設立した。
自動車タイヤに用いられるため、ゴムは将来が 極めて明るい“夢の素材”と目されていた。
株式の額面は銀100テール(両)で、現 在の2万元に相当。
一般庶民には“高嶺の花”だが、百万長者を夢見る人々は、あち こちから借金してまで、株式を買い求めた。
熱狂は「銭荘」と呼ばれた貸金業者にも 伝染。
賢いはずの銭荘までが株式投資を始めたことで、投資熱はさらに拡大。
銭荘に 資金を貸し付けていた銀行までも投資を始め、やがて政府関係者も投機に加わった。
「ランカット」の株価は瞬く間に上昇。
額面の100テールから1000テールに達し、 1400テールに達したところで、四川省成都の鉄道建設会社も買い手に加わった。
株価 はついに1650テールに達し、社会全体が沸騰した。
上海の熱狂に冷水を浴びせたのは、太平洋の彼方にある米国だった。
ゴムの一大 消費国だった米国は、6月に輸入量を大幅に削減すると発表。
この突然のニュースは 世界を揺るがし、ロンドン証券取引所ではゴム関連銘柄が全面安となった。
これが上 海にも波及し、ランカット株は100テールを割り込むまでに急落したという。
海外情報をいち早くキャッチできる外資系銀行は、銭荘への融資を前倒しで回 収。
銭荘は株式投資で損したうえ、資金も枯渇し、廃業に追い込まれた。
多くの投資 家が天国から地獄に突き落とされ、自殺者も相次いだうえ、株式とは無関係の人々も 巻き込まれた。
銭荘の倒産で工場も休業に追い込まれ、大勢の人々が職を失い、社会 全体が記録的な不況に陥った。
影響は上海にとどまらず、「ランカット」に投資していた四川省成都の鉄道会社 も資金が枯渇。
現地の人々の恨みを買う羽目となった。
北京の清朝政府は株価対策に 乗り出し、政府の名義で外資系銀行から資金を調達したが、いくら借りても不足分を 埋め合わせることはできなかったという。
以上は100年前の話だが、現在の状況に似通っているところも多い。
上海だけでは なく、日本や欧米でも、同じようなことが繰り返されている。
「人類の歴史はますま す教育と破滅との競争と化している」(H.G.ウェルズ)という言葉がある。
株式市場 についても、人類は破滅と学習を繰り返しているが、その効果はなかなか上がってい ないのが現状だ。
【亜州IR】
不幸になって、人々は「なぜあの時…」と過去を振り返りたがるもの だが、そうした気分が上海の投資家の間にも広がっているようだ。
こうした投資家の 心情に応えるように、6日付「南都週刊」は100年前の株式市場の熱狂と絶望を紹介し ている。
現在の上海証券取引所は1990年に設立され、その歴史は四半世紀に過ぎないが、 株式市場自体は100年前にも存在した。
上海の英国租界に設けられた証券取引所だ。
当時の中国は皇帝が統治し、上海の人々は大清帝国の臣民だった。
いまから100年以上も昔の1910年3月も、大清帝国の金融センターである上海で は、臣民を含む多くの人々が株式投資に熱狂していた。
その当時の世界では、ゴム産 業が急速に発展。
この新興産業に膨大な資本が投下され、ゴム会社の設立が相次い だ。
急成長が見込まれるゴム会社の株式を人々は競って買い求めた。
その当時は当然のことながらインターネットはなく、株式を買うには取引所に足 を運ぶ必要があった。
取引所前に徹夜で行列を作る投資家を見て、何も知らない人々 は「あんたら何してんの?」と尋ねるが、帰ってくるのは「ゴム会社の株を買うんだ よ」という不思議な言葉。
そこで「ゴムって何だ?」と再び問うが、投資家は恥ずか しそうに「俺も知らないよ。
でも、みんなが買っているからね…」と答えるだけ。
こ のように多くの投資家は、そもそも「ゴム」と呼ばれるものが何かも知らずに、社会 の雰囲気に乗って株式を買っていた。
その当時の人気銘柄は、ゴム会社の「蘭格志拓植公司(ランカット)」だった。
英国商人が1903年に上海で設立した。
自動車タイヤに用いられるため、ゴムは将来が 極めて明るい“夢の素材”と目されていた。
株式の額面は銀100テール(両)で、現 在の2万元に相当。
一般庶民には“高嶺の花”だが、百万長者を夢見る人々は、あち こちから借金してまで、株式を買い求めた。
熱狂は「銭荘」と呼ばれた貸金業者にも 伝染。
賢いはずの銭荘までが株式投資を始めたことで、投資熱はさらに拡大。
銭荘に 資金を貸し付けていた銀行までも投資を始め、やがて政府関係者も投機に加わった。
「ランカット」の株価は瞬く間に上昇。
額面の100テールから1000テールに達し、 1400テールに達したところで、四川省成都の鉄道建設会社も買い手に加わった。
株価 はついに1650テールに達し、社会全体が沸騰した。
上海の熱狂に冷水を浴びせたのは、太平洋の彼方にある米国だった。
ゴムの一大 消費国だった米国は、6月に輸入量を大幅に削減すると発表。
この突然のニュースは 世界を揺るがし、ロンドン証券取引所ではゴム関連銘柄が全面安となった。
これが上 海にも波及し、ランカット株は100テールを割り込むまでに急落したという。
海外情報をいち早くキャッチできる外資系銀行は、銭荘への融資を前倒しで回 収。
銭荘は株式投資で損したうえ、資金も枯渇し、廃業に追い込まれた。
多くの投資 家が天国から地獄に突き落とされ、自殺者も相次いだうえ、株式とは無関係の人々も 巻き込まれた。
銭荘の倒産で工場も休業に追い込まれ、大勢の人々が職を失い、社会 全体が記録的な不況に陥った。
影響は上海にとどまらず、「ランカット」に投資していた四川省成都の鉄道会社 も資金が枯渇。
現地の人々の恨みを買う羽目となった。
北京の清朝政府は株価対策に 乗り出し、政府の名義で外資系銀行から資金を調達したが、いくら借りても不足分を 埋め合わせることはできなかったという。
以上は100年前の話だが、現在の状況に似通っているところも多い。
上海だけでは なく、日本や欧米でも、同じようなことが繰り返されている。
「人類の歴史はますま す教育と破滅との競争と化している」(H.G.ウェルズ)という言葉がある。
株式市場 についても、人類は破滅と学習を繰り返しているが、その効果はなかなか上がってい ないのが現状だ。
【亜州IR】