さて、マネックス証券の「メールマガジン新潮流」が、6月27日に配信されました。
そのなかから今回は、同証券のチーフ・外国株コンサルタント、『ハッチ』こと岡元兵八郎氏のコラム「ウォール街を知るハッチの独り言」の内容をご紹介いたします。
英語が全くできなかった私を救ったのはSONYという話
中学生の頃の私にとって、実は英語はとても苦手な科目でした。
今でこそ仕事で海外の企業やファンドマネージャーと英語でやり取りができるくらいになりましたが、中学1年の頃の私の英語力はクラスでビリから2番目だったのです。
私の中学校はキリスト教の学校で、英語の先生はイタリア人の神父さんでした。
私はその先生の英語の説明が理解できず、できないと叱られ叱られれば英語がもっと嫌になるという悪循環で悩んでいた学生でした。
その当時ソニーがスカイセンサーという海外のラジオ放送が聴ける短波ラジオを発売し、時の若者の間で海外からのラジオ放送を受信するのが大流行りしました。
海外のラジオ放送を受信し、受信報告書を書いてラジオ局に郵送するとベリカードと呼ばれる放送局オリジナルの絵葉書が送られてくるのです。
これは当時BCL(Broadcasting Listener)と呼ばれ当時の一部の若者の間で一世を風靡しました。
勿論まだインターネットも無く、東京と違い民間テレビ放送も2局しかない宮崎に生まれ育った私にとって、このソニーのスカイセンサーは、海外につながるドアだったのです。
当時海外のラジオ局で日本語放送を行なっていた国は20カ国近くあったと思います。
人気のあったラジオ局の一つは、オーストラリアのラジオ・オーストラリアという放送局で、日本人が現地からオーストラリアのニュースや音楽を流していたのです。
その時に初めて、南半球のオーストラリアは季節が反対で、クリスマスなのに向こうではビキニを着ているサンタがいるということを知りました。
最初は海外の日本語放送を聴くだけで満足していたのですが、短波放送のダイヤルを動かすと、英語のみならず中国語や韓国語、ロシア語など多様な外国語放送がどんどん聞こえてくるのです。
そうしているうちにだんだんと外国語で何を言っているか知りたいという気持ちが強くなってきました。
当然、中国語や韓国語はさっぱり解らない訳で、最も理解できる可能性が高かったのは、苦手ながらも悪戦苦闘中の学校で学んでいた英語でした。
そこで私は何をしたかというと、当時スイスからの英語放送のニュースをテープレコーダーに録音。
それを何度もプレイバックし、雑音と共に聞こえてくる音声を英和辞典で引きながら単語を探しあて、ノートに書き出したのです。
たった5分くらいのニュースでも1時間以上かかりました。
当然聞き取れない単語もいっぱいあります。
そして私は翌日学校へ行くと職員室に英語の先生を訪ね、日本人の英語の先生にその英語をチェックしてもらいに行ったのです。
英語の先生も、文法やリーディングはできるものの、ヒアリング力が高い訳でもなく、二人で頭を抱えながら私が聞き取った英語の確認をしていたのです。
このような地道な努力を重ねていくうちに、少しずつクラスでの私の英語の成績も良くなっていきました。
この様な努力をきっかけに、最終的に私は交換留学の制度に受かり、カナダの高校で勉強することになったのです。
今ではインターネットでラジオ放送を行なっているので、短波放送を行う放送局も減ってきています。
今の若者を羨ましく思います。
そんな努力をしなくとも、ネットフリックス等のストリーミング動画では、日本語や英語のサブタイトルもついていて、やる気さえあれば英語の勉強は昔と比べて楽なはずです。
今の若者を羨ましく思います。
この様なきっかけを作ってくれたソニーは私の大恩人、英語ができるようになった結果、私が世界の株式市場に繋がっているのはソニーのお陰だと思っています。
ふとSONYというロゴを見かけると時折、当時の若かりし日々がよみがえってきます。
ソニーへ敬意を込めて。
マネックス証券 チーフ・外国株コンサルタント 岡元 兵八郎
(出所:6/27配信のマネックス証券「メールマガジン新潮流」より、抜粋)
そのなかから今回は、同証券のチーフ・外国株コンサルタント、『ハッチ』こと岡元兵八郎氏のコラム「ウォール街を知るハッチの独り言」の内容をご紹介いたします。
英語が全くできなかった私を救ったのはSONYという話
中学生の頃の私にとって、実は英語はとても苦手な科目でした。
今でこそ仕事で海外の企業やファンドマネージャーと英語でやり取りができるくらいになりましたが、中学1年の頃の私の英語力はクラスでビリから2番目だったのです。
私の中学校はキリスト教の学校で、英語の先生はイタリア人の神父さんでした。
私はその先生の英語の説明が理解できず、できないと叱られ叱られれば英語がもっと嫌になるという悪循環で悩んでいた学生でした。
その当時ソニーがスカイセンサーという海外のラジオ放送が聴ける短波ラジオを発売し、時の若者の間で海外からのラジオ放送を受信するのが大流行りしました。
海外のラジオ放送を受信し、受信報告書を書いてラジオ局に郵送するとベリカードと呼ばれる放送局オリジナルの絵葉書が送られてくるのです。
これは当時BCL(Broadcasting Listener)と呼ばれ当時の一部の若者の間で一世を風靡しました。
勿論まだインターネットも無く、東京と違い民間テレビ放送も2局しかない宮崎に生まれ育った私にとって、このソニーのスカイセンサーは、海外につながるドアだったのです。
当時海外のラジオ局で日本語放送を行なっていた国は20カ国近くあったと思います。
人気のあったラジオ局の一つは、オーストラリアのラジオ・オーストラリアという放送局で、日本人が現地からオーストラリアのニュースや音楽を流していたのです。
その時に初めて、南半球のオーストラリアは季節が反対で、クリスマスなのに向こうではビキニを着ているサンタがいるということを知りました。
最初は海外の日本語放送を聴くだけで満足していたのですが、短波放送のダイヤルを動かすと、英語のみならず中国語や韓国語、ロシア語など多様な外国語放送がどんどん聞こえてくるのです。
そうしているうちにだんだんと外国語で何を言っているか知りたいという気持ちが強くなってきました。
当然、中国語や韓国語はさっぱり解らない訳で、最も理解できる可能性が高かったのは、苦手ながらも悪戦苦闘中の学校で学んでいた英語でした。
そこで私は何をしたかというと、当時スイスからの英語放送のニュースをテープレコーダーに録音。
それを何度もプレイバックし、雑音と共に聞こえてくる音声を英和辞典で引きながら単語を探しあて、ノートに書き出したのです。
たった5分くらいのニュースでも1時間以上かかりました。
当然聞き取れない単語もいっぱいあります。
そして私は翌日学校へ行くと職員室に英語の先生を訪ね、日本人の英語の先生にその英語をチェックしてもらいに行ったのです。
英語の先生も、文法やリーディングはできるものの、ヒアリング力が高い訳でもなく、二人で頭を抱えながら私が聞き取った英語の確認をしていたのです。
このような地道な努力を重ねていくうちに、少しずつクラスでの私の英語の成績も良くなっていきました。
この様な努力をきっかけに、最終的に私は交換留学の制度に受かり、カナダの高校で勉強することになったのです。
今ではインターネットでラジオ放送を行なっているので、短波放送を行う放送局も減ってきています。
今の若者を羨ましく思います。
そんな努力をしなくとも、ネットフリックス等のストリーミング動画では、日本語や英語のサブタイトルもついていて、やる気さえあれば英語の勉強は昔と比べて楽なはずです。
今の若者を羨ましく思います。
この様なきっかけを作ってくれたソニーは私の大恩人、英語ができるようになった結果、私が世界の株式市場に繋がっているのはソニーのお陰だと思っています。
ふとSONYというロゴを見かけると時折、当時の若かりし日々がよみがえってきます。
ソニーへ敬意を込めて。
マネックス証券 チーフ・外国株コンサルタント 岡元 兵八郎
(出所:6/27配信のマネックス証券「メールマガジン新潮流」より、抜粋)