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【小倉正男の経済コラム】関ヶ原の戦い 吉川広家は三万の兵を南宮山に“足止め“

発行済 2022-09-15 08:44
更新済 2022-09-15 09:05
© Reuters.  【小倉正男の経済コラム】関ヶ原の戦い 吉川広家は三万の兵を南宮山に“足止め“

■石田三成に勝つチャンスはなかったか

 「関ヶ原の戦い」は、慶長5年(1600年)の旧暦9月15日に行われている。

 「西軍を実質的に率いた石田三成は、幼君(豊臣秀頼)でも群臣がまとまれば天下を治めることができるという考え方。東軍の総大将の徳川家康は、天下は力ある者の回り持ちという考え方だ。信長、秀吉もそれをやった、と。それがぶつかったのが関ヶ原の戦い」  小和田哲男・岐阜関ヶ原古戦場記念館館長はそう説明している。

 名刺交換の立ち話で小和田哲男先生に、「関ヶ原の戦いで石田三成に仮に勝機があったとすれば、どういう局面でどうすることが必要だったか」とお伺いした。関ヶ原以外に戦場を設定するというやり方もあるが、関ヶ原しか決戦の場がないとしても石田三成に勝つチャンスはなかったか。

 小和田哲男先生は、「大阪城に籠もっていた西軍総大将の毛利輝元を関ヶ原の戦いに引っ張り出していたら、結果は違っていたかもしれない」と。

 ほとんど間髪を入れないでの答えであり、石田三成が形勢逆転する可能性は乏しいにしても“毛利輝元を関ヶ原に持ってくる”、それが唯一の方策だったという響きだった。

■毛利勢が大垣城を望める南宮山に布陣

 関ヶ原の各陣跡を巡ってみると少し見えてくるものがある。ポイントは西軍総大将に押し上げられた毛利輝元の毛利勢の動きである。毛利勢二万余が陣を構えたのは南宮山、9月7日といわれる。毛利秀元、安国寺恵瓊、吉川広家がそれぞれ陣を築いている。

 南宮山(標高419m)は大垣市、垂井町、関ヶ原町などにまたがる山であり、大垣城と関ヶ原の間にある。毛利勢は大垣城が主戦場となるとみて、南宮山の大垣城を望めるサイドに陣城などを設けている。毛利勢には関ヶ原サイドはまったくの背後になる。関ヶ原が決戦場になるという想定はなかった模様である。

 大垣城には石田三成など西軍が立て籠もる動きをとり、徳川家康が率いる東軍との主戦場になる可能性が高かったわけである。その場合、毛利勢が陣を構えた南宮山は東軍の背後を突ける絶好のロケーションになる。毛利勢に戦う気構えがあったかどうかはやや不明だが、戦いの帰趨を制する要地を押さえたのは間違いない。

 東軍の徳川家康もそれは察知しており、東軍側の黒田長政を介して毛利勢の吉川広家に調略を行っている。“毛利勢が西軍として動かなければ毛利輝元の所領は安堵する”、という密約を交わしている。大阪城にいる毛利輝元は西軍総大将として働きながら、西軍が負けても所領安堵という「リスク回避」を図っていたわけである。

 この毛利勢の安直で虫の良い「曖昧作戦」が関ヶ原の帰趨を分けることになる。関ヶ原の戦い後、毛利輝元が西軍総大将として多数の書状を出していることから密約は反故にされる。毛利輝元は改易の危機に直面することになる。吉川広家の内通にもかかわらず、結果的には「曖昧作戦」の安直さが露呈している。

■毛利勢が背後を突けば徳川家康の桃配山本陣は壊滅

 関ヶ原の戦い当日、徳川家康は桃配山に本陣を置いている。背後に南宮山、前方に関ヶ原というロケーションである。桃配山はすぐそばを中山道が走っており、大垣方面からの関ヶ原への入り口にあたる。ただし、桃配山は小さな山(標高104m)であり、関ヶ原の見晴らしはよいとはいえない。桃配山の現在だが、東海道本線、国道21号線などが旧中山道に並んで走っている。

 重要なのは桃配山の背後には南宮山が控えており、毛利勢が背後を脅かせば桃配山は混乱、最悪では壊滅していたに違いない。南宮山麓には東軍側の浅野幸長、池田輝政が毛利勢に備えているが、それでもそこを突けば最後尾からの攻撃であり、桃配山本陣は前後に敵を抱える。控え目にみても徳川家康の本陣は浮き足立つことになる。

 南宮山の毛利勢は毛利秀元、安国寺恵瓊が主戦派だが、吉川広家は「徳川家康を敵に廻したらどう転んでも勝ち目はない」と東軍に内通している。吉川広家は東軍に付くのが毛利家生き残りの唯一の道という信念で動いている。(吉川広家は、毛利元就の次男・吉川元春の三男。毛利勢のなかではいわば重鎮といった存在であり、毛利秀元、安国寺恵瓊とは確執があり深く対立している。)

 その結果、吉川広家の不作為、すなわち南宮山から一歩も動かないという「体裁のよい裏切り」が、松尾山に陣を敷いた小早川秀秋の明白な裏切りを呼び起こすことになる。

■吉川広家は南宮山に三万の兵を“足止め”した

 小早川秀秋が陣を敷いた松尾山(標高292m)は関ヶ原を見渡せる絶好のポジションにある。仮に南宮山の毛利勢が東軍の背後を襲う行動に出れば、東軍の徳川本陣に混乱が生じる。西軍の優勢が明らかになり、そうなれば小早川秀秋としては西軍に付いて働いた可能性が出てくる。

 とりあえず、強い側、勝つ側に付くのがこの時代の生き残り鉄則ということになる。迷っていた武将は少なくないが、小早川秀秋はその極致で、西軍が勝ちそうなら裏切りはなかったとみられる。

 小和田哲男先生の「西軍総大将の毛利輝元を関ヶ原の戦いに引っ張り出していたら、結果は違っていたかもしれない」というのはそこである。

 もし毛利輝元が南宮山に在陣し、ここで桃配山の徳川家康の背後を突けば、毛利が天下を取れる千載一遇のチャンスという判断を下したら、吉川広家も本家には逆らえない。

 歴史に「if」はないわけだが、岐阜、大垣、垂井、関ヶ原と東海道本線に添って歩いてみたら違ったものが見えてくる。南宮山麓の吉川広家は、南宮山稜線などに陣を築いた毛利秀元、安国寺恵瓊、さらに長宗我部盛親、長束正家など三万の兵を“足止め”にしている。関ヶ原の戦い後、毛利勢は東軍に追撃されることもなく大阪城に引き上げている。

 関ヶ原に訪れる旅行客の多くは石田三成、大谷吉継など西軍ファンといわれる。西軍ファンにとってもその敗北をもたらした南宮山の毛利勢の陣跡を巡ってみれば、関ヶ原の違った景色が見えてくるに違いない。

(小倉正男=「M&A資本主義」「トヨタとイトーヨーカ堂」(東洋経済新報社刊)、「日本の時短革命」「倒れない経営~クライシスマネジメントとは何か」(PHP研究所刊)など著書多数。東洋経済新報社で企業情報部長、金融証券部長、名古屋支社長などを経て経済ジャーナリスト。2012年から当「経済コラム」を担当)(情報提供:日本インタビュ新聞社・株式投資情報編集部)

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