■「いまさら戻れない」産業界は岸田文雄首相の発言をスルー
岸田文雄首相の「(私が掲げる新しい資本主義において)株主資本主義の転換は重要な考え方のひとつ」という発言があったが、当事者である産業界の反応はどのようなものか。
少し驚いたのは、産業界はほとんど無関心というか、反応は乏しいものだった。産業界は一般にプラグマティズムを基本としており、「株主資本主義」、あるいは「新しい資本主義」といわれても敏感な返答は出てこない。
資本主義を理屈から入ってやっているわけではないのだから、産業界としては当然といえば当然の話である。一種の「祝詞」といっては拙いが、概念または観念であり、しかも中身が定かではない。スルーして静観するしかないわけである。
そのなかで反応らしい反応があったのは、「株主資本主義の転換、にわかに配当、自己株買いなどを見直せといわれても、いまさら戻れるものではない」というものだった。「世界がいわゆる株主を中心とする資本主義になっており、それを日本だけ後退させることはいまや無理」と理由を語っている。
■「アズNO1」といわれても・・・
1970~80年代の日本企業はまさに「非株主資本主義」といえるものだった。「会社は従業員と従業員から上がった経営者のもの」であり、経営者と従業員の給料格差も大きいものではなかった。株主配当などにはほとんど微々たるおカネしか廻らなかった。おカネがあれば何よりも設備投資に廻されていたのが実体だった。端的にいうと産業界各社におカネがなく、とりわけ株主などに充てる余裕などなかった。
銀行など金融機関からの融資も高金利でしかも量的に厳しく規制されていた。80年代には「ジャパン・アズNO1」といわれた時代になる。だが、70年代にはドルショック、2度に渡るオイルショックに直撃され、倒産危機から必死に生き残ってきて80年代を迎えている。85年にはプラザ合意となり超円高となった。「ジャパン・アズNO1」といわれても「何を言っているのよ、意味がわからない」と実感などまったくなかったわけである。
当時は経営者を取材すると、「戦時中は少尉でラバウル島にいた」「米軍上陸に備えて九十九里浜で塹壕を掘っていた」「大学の造兵学科で研究していた」と何らか戦争を経験してきた人が多かった。戦後の厳しい時代をくぐってきており、いまの経営者に比べたら必死であり腹だけは据わっていたように思われる。
■「ブードゥー・エコノミー」、やはりスルーが賢い?
米国の80年代は最悪な時期であり、10%を超えるインフレと高い失業率に喘ぎ、米国債利回りが20%超という凄まじい高金利時代だった。高金利で「強いドル」にしてインフレを抑えようとしたのである。
当時のレーガン大統領は、軍事支出など財政出動を拡大する一方で所得税減税、法人税減税、規制緩和、企業誕生権(起業)支援などで景気底入れを行っている。政敵やメディアからは「ブードゥー・エコノミー」という批判を浴びたものである。「レーガノミクス」は当初は呪術的と揶揄されたわけである。
株主が「ボードメンバー」(役員会)を構成して、企業現場の経営執行はオフィサー(執行役)が担当する。ボードが現場執行者をチェックし、督励する。ボードが、現場執行役の「報酬」「人事」「監査」を監督・決定する。これがいってみればいわゆる「株主資本主義」だが、80年代の米国最悪期に経済再生へのカンフル剤として構築されてきた経緯がある。
米国のやり方を「株主資本主義」とするならば、一般の日本企業がやっているのはほとんどそれとは異なるものである。そのため岸田首相の「株主資本主義の転換」という概念がさらに曖昧となり、その概念が何を目指して、何をもたらすのかますます不明になる。
故意に中身を曖昧な概念で隠しているのか、中身がないので故意に曖昧な概念を語っているのか。こうした現状では、日本的で中身曖昧な「ブードゥー・エコノミー」といわれても仕方ないように思われる。果たして凡人の世評を覆してほしいのだが。
(小倉正男=「M&A資本主義」「トヨタとイトーヨーカ堂」(東洋経済新報社刊)、「日本の時短革命」「倒れない経営~クライシスマネジメントとは何か」(PHP研究所刊)など著書多数。東洋経済新報社で企業情報部長、金融証券部長、名古屋支社長などを経て経済ジャーナリスト。2012年から当「経済コラム」を担当)(情報提供:日本インタビュ新聞社・株式投資情報編集部)