■沿革
1980年9月、クイック (T:4318)は(株)日本リクルートセンター(現リクルートホールディングス (T:6098))出身である現代表取締役社長兼グループCEOの和納勉(わのうつとむ)氏により、株式会社クイックプランニングとして設立された。
社名は、営業開始日である9月19日にちなむ。
当初は求人広告の広告代理事業(リクルート情報誌の広告代理店、新聞の求人広告等)を展開していた。
大阪、名古屋、東京に拠点を拡充するとともに、1990年9月には設立10周年を機にCI (コーポレート・アイデンティティ)を導入、商号を現社名に変更している。
当初、求人広告の広告代理事業は順調に推移していたものの、日本のバブル崩壊で会社は倒産一歩手前まで追い込まれた経緯がある。
そのため、広告代理店の専業では景気が大きく変動した場合に厳しくなるとの経営判断から、業績が回復するにつれ、事業の多角化を推進した。
1996年12月の建築・土木等の設計、施工管理業務等の請負業務(現人材サービス事業)を手始めに、1997年4月には教育・研修事業(現リクルーティング事業)、人材紹介事業(現人材サービス事業)を、1999年7月には人材紹介会社への一括登録サービスを行うポータルサイト「人材バンクネット」の運営(現ネット関連事業)をそれぞれ開始、その後は順調に業容が拡大している。
2003年2月には(株)ケー・シー・シー(現社名・(株)カラフルカンパニー)の株式を取得して北陸地区での情報出版事業に進出。
最近では、保育士派遣のワークプロジェクトの子会社化を発表するなど、周辺事業のM&Aにも積極的に取り組んでいる。
現在、グループ各社を合わせて、国内11拠点、海外5拠点体制となる中で、海外事業の展開が見逃せない。
「日本の人事部」から「世界の人事部へ」をスローガンに、海外へ進出している日系企業の現地採用等をサポートしており、1999年よりニューヨーク、ロサンゼルス、上海、ベトナム、メキシコへ順次拠点を開設。
現地における人材採用だけでなく、労働争議や人事労務政策に対するノウハウの蓄積も進んでいる。
なお、株式の上場は2001年10月にJASDAQ市場(店頭登録、現東京証券取引所JASDAQ市場)に上場した後、2014年2月に東京証券取引所市場第2部へ市場変更となり、同年9月より東京証券取引所市場第1部へ指定されている。
(執筆:フィスコ客員アナリスト 水野 文也)
社名は、営業開始日である9月19日にちなむ。
当初は求人広告の広告代理事業(リクルート情報誌の広告代理店、新聞の求人広告等)を展開していた。
大阪、名古屋、東京に拠点を拡充するとともに、1990年9月には設立10周年を機にCI (コーポレート・アイデンティティ)を導入、商号を現社名に変更している。
当初、求人広告の広告代理事業は順調に推移していたものの、日本のバブル崩壊で会社は倒産一歩手前まで追い込まれた経緯がある。
そのため、広告代理店の専業では景気が大きく変動した場合に厳しくなるとの経営判断から、業績が回復するにつれ、事業の多角化を推進した。
1996年12月の建築・土木等の設計、施工管理業務等の請負業務(現人材サービス事業)を手始めに、1997年4月には教育・研修事業(現リクルーティング事業)、人材紹介事業(現人材サービス事業)を、1999年7月には人材紹介会社への一括登録サービスを行うポータルサイト「人材バンクネット」の運営(現ネット関連事業)をそれぞれ開始、その後は順調に業容が拡大している。
2003年2月には(株)ケー・シー・シー(現社名・(株)カラフルカンパニー)の株式を取得して北陸地区での情報出版事業に進出。
最近では、保育士派遣のワークプロジェクトの子会社化を発表するなど、周辺事業のM&Aにも積極的に取り組んでいる。
現在、グループ各社を合わせて、国内11拠点、海外5拠点体制となる中で、海外事業の展開が見逃せない。
「日本の人事部」から「世界の人事部へ」をスローガンに、海外へ進出している日系企業の現地採用等をサポートしており、1999年よりニューヨーク、ロサンゼルス、上海、ベトナム、メキシコへ順次拠点を開設。
現地における人材採用だけでなく、労働争議や人事労務政策に対するノウハウの蓄積も進んでいる。
なお、株式の上場は2001年10月にJASDAQ市場(店頭登録、現東京証券取引所JASDAQ市場)に上場した後、2014年2月に東京証券取引所市場第2部へ市場変更となり、同年9月より東京証券取引所市場第1部へ指定されている。
(執筆:フィスコ客員アナリスト 水野 文也)